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映画の感想をポツポツ書くつもり。文はテキトー、情報も正確じゃない可能性あり。

「スティーブ・ジョブズ」と「ソーシャル・ネットワーク」

ダニー・ボイルの「スティーブ・ジョブズ」を見た。

スティーブ・ジョブズ」と「ソーシャル・ネットワーク」のネタバレあり。

アーロン・ソーキンが脚本を書くという話、クリスチャン・ベールのはずがマイケル・ファスベンダーに主演が変更した話も覚えているが、印象的だったのは初出の映像であるティザー予告だ。

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拍手喝采を浴びるジョブズと、彼を神妙な面持ちで見つめる三人のパートナー。特に気に入っているのは、セス・ローゲン演じるウォズニアックだ。会場中がジョブズを褒め称える中で、俯くことしかできない彼の姿がもの寂しい。
この感じ、厄介な天才に振り回されながらも彼を見つめる、この視線が好きだった。嬉しかったのは、この視線が本編にもあったことだ。本編ラスト、ガレージ時代のジョブズに名前を呼ばれるカットを挟みつつの、あのウォズの表情が切ない。反対に、ジョブズを包む拍手は、家族として新しく歩み始めるリサとジョブズを温かく祝福しているようで、「ソーシャル・ネットワーク」とは正反対のハッピーエンディングということもあって、イイ話だ〜!って感動する。

名脚本家として有名なソーキンだが、元々は演劇界で活躍していた。「スティーブ・ジョブズ」のコメンタリーで面白いやりとりがあった。
第三幕のジョブズジョアンナが会話するシーン。画面右にジョブズが、左にジョアンナが配置されていたが、次のカットでカメラが反対側に回り、二人の位置関係も反対になった。その時、編集のエリオット・グレアムが「今、想定線を越えたね」と言うとソーキンは「想定線ってなに? 教えてくれる?」と尋ねた。
つまり、ソーキンは映画への意識はあまり無く、あくまで演劇にも応用のきく脚本を書いていると推測できる。
また、このコメンタリーで面白いのはグレアムとソーキンの微妙なズレだ。見解のズレというより、それぞれの担っている作業が目指すものの違いだ。ソーキンは俳優の演技を最大限信じようとし、グレアムは映画内のリズムや勢いを重視する。
例えば第一幕。ジョアンナがジョブズに「あんなパソコンは売れない」と言うと「みんながMacを待っているんだ」と返す。するとそこに、会場に入場する観客の数カットが挿入される。ソーキン曰く、このカットは脚本には無かったそうで、グレアムはここは「勢い」をつけるために挿入したと答えている。他にも、オープニングクレジット。アーサー・C・クラークがパソコンの未来について語る実際の映像が、クレジットとともに流れる。ここに関してグレアムは、脚本の始まり方が唐突なので、その前にワンクッション欲しかったと答えている。一方でソーキンは、観客を冒頭から物語の世界に引き込むために、この始め方にしたと言っている。

俳優が演技する以外の映像は、基本的にダニー・ボイルやグレアムの発想によるものだ。OP、会場のショット、ボブディランの歌詞、スカイラブ等々。ソーキンの会話劇をポップに見せる見せ方が、いかにもボイルっぽくて好き。

同じくソーキンが脚本を担当した「ソーシャル・ネットワーク」と比べてみると、OP一つとってみても演出の違いが大きい。
ボイルは会話劇の前にワンクッション入れたが、フィンチャーはコロンビアのロゴに会話をオーバーラップさせる。また、幕ごとの始まりのナレーションや文字情報の見せ方。ボイルは凝った編集とカラフルな画面で観客を飽きさせないが、フィンチャーは「オックスフォード 秋」と字幕をポーンと放り込むだけだ。
どちらが良い悪いかは別として、ソーキンの脚本をいかに映像化するのかという方針の違いが明確に現れていると思う。

親友との決別のシーンの違いも書いておきたい。
スティーブ・ジョブズ」では、第三幕のウォズとの論戦。「ソーシャルネットワーク」では、エドゥアルドが激昂する場面。二つとも緊迫感溢れる中、最低な主人公が友人に怒りをぶつけられて困惑するシーンだ。だが、二つのシーンの持つテンションは大きく違う。
ソーシャル・ネットワーク」におけるそのシーンで言葉を発するのは三人。エドゥアルド、マーク、ショーン・パーカーだ。この一連のシーンは六つのカメラによる映像でできている。三人全員、手前マークに奥エドゥアルド、手前エドゥアルドに奥ショーン、手前エドゥアルドに奥マーク、ショーンのみ、エドゥアルドのみ。

一方「スティーブ・ジョブズ」で発話者は、ジョブズ、ウォズニアック、カニンガムの三人だ。しかし、彼らを写すカメラはあまりに多い。数えてみると、ウォズを写すカメラが特に多い。正面からはバスト、全身、右前方向からは顔のアップ、バスト、全身の三つ。まとまってない。

個人的な感覚によるものかもしれないが、この対ウォズのシーンには緊迫感が無いというか、ジリジリ追い詰められる感じがしないのだ。とっ散らかった感じ。
まあそれは当然といえば当然で、なぜならこの第三幕におけるジョブズの問題はリサとの仲直りだからだ。このウォズとの論戦にはあまり力を入れてなかったのかも。
カメラの数が多すぎて散漫な印象を受けるこのシーンだけど、幕ごとの大事なシーンは迫力があってどれも好き。特にスカイラブのシーンがいい。アップル復活作戦を打ち明けるジョブズとそれを聞くジョアンナの二人を写したまま、カメラがガーッと引いていって、ジョブズの「でもアップルはこの技術を欲しがる」という言葉で二人の顔のアップが映る。最後に、頭をこっつんするジョアンナを引いたカメラが映す。この時の安心感といったらない。音楽も非常にいい。

音楽といえば、音楽担当であるダニエル・ペンバートンは今作でゴールデングローブにノミネートされている。リサの初Macペイント、スカイラブのシーンの音楽が好きだ。

劇伴とは別にラストの曲、The Maccabeesの「Grew up at Midnight」。もちろんダニー・ボイルによる選曲なのだろうが、この絶妙な感じ。どういっていいかわからないけど、インディーズなんだけどクセは強くなく、むしろメジャー寄り、でもメジャーほどキャッチーじゃない。本当にブレないなあ。監督の新作である「T2 トレインスポッティング」にもWolf Aliceの「Silk」という曲がエンディングに流れるらしいのだが、テイストがそっくり!

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しかし好みでいうと、やっぱり「ソーシャル・ネットワーク」なんだよなー。音楽を担当したNINのトレント・レズナーアッティカス・ロスは、この作品でアカデミー賞作曲賞を獲っている。賞を獲ったから、というわけじゃなくて、この映画の劇伴がめちゃくちゃ好き。序盤のハッキングの一連のシーンが最高に楽しいのだけど、あの軽快さは編集もそうだが、音楽によるものが大きいと思う。

話がブレブレだけど結局言いたいのは、「スティーブ・ジョブズ」は面白くて大好きだけど、それ以上に「ソーシャル・ネットワーク」の方が好きだということ。